よし!勉強しよっ!~なぜそれを始めたのか あわよくば・・・~

勉強

私が今チャレンジしていることの1つに、英語と数学があります。
よし、べんきょうしよっ、となったのはなぜなのか、そして最終的にはどうなりたいと思っているのか
についてお話します。

「なぜ勉強しようと思ったのか」
これには3点あります。

1、 自分の教養を高めたかった。
2、 「分からないってのはどんなんだっけ」を思い出したかったから。
3、 子どもに何かをさせようと思うならまず自分がやってみよう。

具体的に説明していこうと思います。

【1,自分の教養を高めたかった。】

私は子どもを産んでからの七年間子育てと家事に専念してきました。
それとともに子供達も成長してきて、だんだんと自分の時間もとれるようになってきました。
あんなにてんてこ舞いだった毎日に少し自分というものに目を向けることが出来てきました。
そうすると、驚愕!!!寝起きの顔を鏡で見るくらい、走れると思って思い切り走ると足を痛めてしまうくらい
なにかとんでもなく退化していたのです。。。。私の脳が、、、

でも、実は見ぬふりをしていました。臭いものに蓋をしていました。すこしづつは気が付いてはいたのです。
事例1、幼稚園の送り迎えのちょっとした会話で、言葉がでてこない。。。。
ナイスなコメントが出来ない。
事例2、計算のスピードが明らかに遅くなっていた。。。。
買い物とか簡単計算はできていたのに、ミスだらけ。。。
事例3、子供の「あれなあに」「どうしてなの」質問に的確に答えられない。
「それはね、、、、また一緒に調べよう」などと言って逃げ去る。
事例4、漢字を忘れている。。。。

これは、、、まず過ぎる。あまりに頭を使わなかったためにその機能が低下している。
最近では「人生100年時代」などといわれている中で、私は取り残され、化石化していくのでは、、、
危機感にさいなまれたのです。このまま絶望感に浸っているわけにもいかない!ってなことで
一念発起して、英語と数学に着手してみようかと思ったのです。
勉強といえば、英語と数学、みたいな回路になっているところが、性格・ざっおおざっぱが出ていますが。

【2、「分からないってのはどんなんだっけ」を思い出したかったから。】

私の娘(以下、一姫とします)は小学一年生になりました。小学生といえば、宿題。そしてその宿題を見ます。
そうすると、私はとんでもなくイライラするのです。
こんなに胸の奥底からイライラが湧き出ることってあるのね
ってぐらい本当にいらいらするのです。

イライラする理由
その1、一姫は、まず宿題をやりたがらない。だから言い訳をしてくる。
その2、はじめてもだらだらするし、読めないような字で書きまくる。
その3、私がさっき説明したことも、聞いてないのか、説明が悪いからなのか、理解できない。
その4、同じこと何度も何度も間違える。さっきも説明したじゃないか、なんでわからないんだよ!
ってな気持ちになる。

冷静になれば、学校の後の宿題疲れてて、そりゃできないよな、、、だらだらしたいよな、、、
それに何度言っても分からないってそりゃそうだよね。一年生になって急に出来るわけないよね。とかわかるのですが、
その時になると、感情が爆発してしまうのです。

そこでふと思ったのです。これは私自身が同じ状況になれば、子供側からの視点がわかるのではないかと。
かつて私も子供だったのだもの。そのころの気持ちがわかるかもしれない!
これまた、おおざっぱな考えと、なにか体育会系的な発想で(実際大学時代は体育会系でした)始める事にしました。

【3,子どもに何かをさえようと思うならまず自分がやってみよう。】

何よりもこれが一番大きな理由かもしれません。
今の小学生は、英語もプログラミングを必須になるようです。私はどこか他人ごとの様に「最近の子供は大変ね」
と思っていました。でも、町やネットの町を歩けば、プログラミング教室、英語教室などがあふれております。
お、これはもしかして、習っておいたほうがいいのかな?とか漠然と思い始めていました。
私も英語習っていたら、話せるようになったりしたのかなとか安易に思ったりしました。
子供がこれから困らないように。。。。

いや、まてまて。もしかして子供に自分の出来ない事をさせようとしている??
私のこの考え、これはちょっと間違っているんじゃない。自分が出来ないから、子供のためという名で、
子供に背負わせようとしているのかもしれない。
(これは私の場合です。もちろん心の底から子供を思って習わせている方もおられると思います。)
ならば、私がトライしてみよう!!!
私が楽しくやっているのをみれば、子供もなんか大人が楽しそうじゃんってなるかもしれない。
私がほんとに楽しければ、その世界の魅力を伝えることが出来るかもしれない。そんな風に思ったのです。
伝えられなくても、いろんなことにチャレンジしている母を見て
あわよくば、母の背中を見て、子供達が何かを感じ取ってくれないかなと思ってみたり。

最終的には・・・
自分がまずはやって、楽しむこと。
その中で、ともに教養を身につけ、新しい世界(見方、考え方)が出来るようになることを目標とします。
あわよくば、その姿勢が子供にとどけばいいなと、目論んでいるわけです。

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