今回は「パレスチナ」という言葉に、導かれてある本を読むことにしました。
その本とは、『彼女の最初のパレスチナ サイード・ティービー』という本です。
正直にいうと、
この本を読んでみた感想として、「これが答えだ」というような読後感はありませんでした。
わかるようなわからないようなというような、霧の中でものを見ているような、
掴み取れないようなそんな感じを受けた本でした。
しかしそんなわからなさの中で、私が感じたことがあります。
そのキーワードは、「共通性と異質さ」です。
本を読んで感じたことを少し
実際読んでみて、パレスチナにまつわること、
例えば登場人物の出身がパレスチナである、独特の食べ物や日常に行っているであろう宗教の様子
などパレスチナに独自だと思われることが描写されていました。
また、実際にイスラエルとパレスチナの政治情勢など、私の生活のデフォルトとは違う感覚を
抱く部分もありました。だから私とは違う世界の話のようにも感じました。
しかしそれと同時に、「人間としての共通性」のようなものも感じました。
大きな枠組みは異なるもののように見えるけど、その奥には同じものを感じる、
そしてそのたびに立ち止まり考えさせられる、そんな読書体験でした。
この本はいくつかの短いお話があり、そのお話どれも、同じ感覚を抱かせない感じのお話が
並んでいました。だからこそ、いろんなことを考えさせられました。
今回は私が読んで、特に異なる感じだと思ったものを、いくつか挙げて
「共通性と異質さ」について考えてみたいと思います。
私が選んだお話
「最初のパレスチナの彼女」
この話は、トロント在住のパレスチナ出身の男性と別の国の彼女が親しい間柄という中で
展開していきます。彼の国のことを教えてほしいと彼女から言われて、教えていく中で、
彼女がパレスチナの運動に身が入り、激しく憤っていく、
そしてそのエネルギーがもっと大きなものになって、
最終的には、彼という存在は彼女の視線からなんとなく消えてしまっている。
そのようなお話でした。
異質性として、パレスチナという国の状況は、私の日常とは大きくかけ離れていると感じ状況です。
私は衣食住に今のところ困っていない。生命を今日明日脅かされていきているわけではない。
そういう意味において、全く異なる道を歩んでいるように思います。
だけれども、この彼女のように、「大切にするものの比重が変わってしまう」という動きは、
たとえこんなに大きくかけ離れた生活を送っていたとしても、
誰にでもあり得る動きではないでしょうか?
「ウッドランド」
ヌールは、アフリカから何も言わずに家族と離れ、
トロントでアーティストとして生きている女性です。
彼女は過去や出自について語らず、それらと距離を取るように暮らしています。
恋人のシャリフは、競売に彼女を連れて行き、古いものや過去の痕跡を
大切にする人物として描かれます。しかしヌールは、彼が過去のものを持ち続けることに、
どこか耐えられなさを感じているように見えました。
彼のそうした態度は、彼女が離れたいと思っている過去というものを、
静かに突きつけてくるからです。
やがてシャリフは、ヌールを被写体とした作品で成功しながらも、彼女との関係を終わらせ、
森へと向かいます。そこでヌールは、「ウッドランド派」と呼ばれる
芸術家ノーヴァル・モリソーの絵を競売で手に入れます。
森とその絵の中で、彼女は「自分がしてきた逃避は正しかった」と感じる。
物語は、その言葉を否定も肯定もせずに終わります。
この話を読んで私が思ったのは、彼女は過去のものから逃げようとしている、
のではないかと思いました。その過去の重みのような葛藤から逃げるために、
森という今だけを感じられ場所、そして奪われた土地と声を説明ではなく神話とイメージとして
語った芸術家ノーヴァル・モリソーの絵を購入したことで、感覚に従って生きていいのだという
確信につながったのではないかと思います。
国や文化は大きく異なっていても、
自分の生き方を模索する中で、
最終的に「正しいかどうか」ではなく「これなら生きられる」という感覚を選ぶことは、
私たちにも起こりうることではないでしょうか。
同時に、森へ向かうという選択の部分で感じさせる
曖昧さや切り離せなさを抱えたまま生きるということ、
これは私たち誰でも持ち合わせている感覚だと思います。

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